天林寺は、お墓参りの用だけではなく、来る季節、行く季節を
知ることができるわたしたち夫婦の定点観測地のようなところだ。
今日のお墓参りは、いつもよりも少し早い時間。
東側の上り坂には、金木犀の木がある。
金木犀は、その存在を香りで知らせる木だから、咲けば坂の
上り口からすぐにわかる。花はすこしついていたが、まだ色も無く、
これからだね、と通り過ぎる。
坂を上りきると、お寺の駐車場。境内の木々がすでに秋の色をしていた。

山門の横には、なにやら弾けた実。
お花を買って(お花は秋らしく小菊がいつもよりもたっぷりだった)、
お墓へ向かう。
村上のお墓は、義父が無くなってから建てたもので、まだ新しい。
主人はお墓へ水を掛けると、スポンジで汚れを拭い、その後、
お墓用の布巾(雑巾様に縫ったもので、ほかに使っていなかったもの)で
水気をきれいに拭き取る。
水気が残ると、そこにほこりがついて、汚れが染み付いてしまう、という。
おかげで、もう6年経つお墓は、まだぴかぴかで、真新しくも思える。
線香を手向けて、頭を下げ、本堂へ向かった。
本堂でもお参りを済ませ、境内を歩くと、金木犀よりもやや爽やかな、
でも、ほとんど同じ香りが鼻をくすぐる。
「どこかに金木犀がない?」
「あぁ、香っているな。」
主人ときょろきょろすれば、境内のほぼ真ん中に、白い細かい花をつけた、
銀木犀が見つかった。
「あら、銀木犀!こんなところに。」
「去年も咲いていたと思うよ。」
「そうだったかしら。またすっかり忘れているわ。」
銀木犀の香りは、オレンジ色の花を咲かせる金木犀に比べると、
独特の甘い香りが、柑橘の爽やかさに似た香りと差し替えられていて、
控えめな感じ。
しかし、香りからその存在を知らせてくることには違いなく、
しばし、木の下でその香りを楽しんだ。
「金木犀なら、四ツ池グラウンドの駐車場がみごとですよ。」
「去年そう言ってたな。今度行ってみるか。」
「鼻炎がひどくならないといいけど。」
朝のあまりの涼しさに引っ張り出した黒のニットカーデガンは、
日が上がれば少し暑く、まだ秋はこれから、と思いながら、
家路に着く。
お墓参りは、当たり前のような日常の中で、自分たちの生活が、
欲にばかり偏っていないかを考えるいいきっかけになっている。
墓前には、お願い事はするでない、と聞く。
今日まで、自分があることに感謝の意を述べ、お参りに来た報告
のみをして帰ってくる。
私たち夫婦は、体調も、経済も「絶好調」とは言えない状況の中で、
穏やかに毎日があることはありがたく、おかげさまで、
と頭を下げてくる。
おみやげに摘んできた草を猫に与えながら、我が家の平和を
しみじみと思う。
何事もない、というのは幸せなことだ。
穏やかな日差しが、玄関を暖めている。