まだ新鮮に寂しい

昨夜の天気予報が、もう暑い日はないでしょう、と言っていました。
もうすぐお彼岸だものね、と主人と話しながら、
思い出すのは大好きだったおじいさんのこと。


お祖父さんが亡くなって、もう15年以上経ちます。
なのに、未だに新鮮に寂しい。

おじいさんは、なかなかの頑固者だったようですが、
わたしにはやさしいやさしいおじいさんでした。

おばあさんに先立たれて、気ままな独り暮らしをしていました。
わたしは、亡くなったおばあさんによく似ていたことも手伝って、
他の兄弟よりも可愛がられたように思います。


おじいさんとは、学生時代、京都と旧磐田郡竜洋町とで
手紙のやり取りをしていました。その手紙の束は、今でもとってあります。



おじいさんは、妻であるおばあさんのお葬式で、
わたしの手を握って泣いていました。

数年後、わたしは、おじいさんのお葬式で、
おじいさんの死をどうしても受け入れられず、
お官の蓋を閉めるとき、焼き場にそれが入って行くとき、泣き叫びました。



毎週、日曜日に「こーんちは。」とやってくるおじいさん。
片手を挙げて「よっ。」と挨拶するおじいさん。


ちょうど、アナウンサーの逸見さんと同じ、進行性の癌で、
年齢の割には病気が進むのが早く、手術の甲斐無く、逝ってしまいました。



おじいさんは、最期、喉が乾く、と小さな氷を舐めながら、
胸で息をしていました。

みんなが見守る病院のベッドで、その頼りない呼吸が止まると、

「おじいちゃ!おじいちゃ!」

と誰かが呼び止めました。
その度に、まるでうっかり寝てしまったのを起こされたかのように、
はっと目を覚ますおじいさん。


「今、息してんかったに!頼むで、息してて!」


そんなふうに何度も同じことを繰り返す中、おじいさんは、
いい加減にしないか、という顔をしました。


「…もう、寝たい?起こしたらうるさい?」


看病をしていた母が、みんなが言いにくかったことを聞きました。

おじいさんは、静かに目をつむって頷きます。

「わかった。もう次は起こさないからね。」


ベッドの回りの身内は、おじいさんの呼吸が次に止まったとき、
口を手で押さえて、おじいさんを再び呼び戻すのをこらえました。


おじいさんの最期の呼吸は大きく吸って、終わりでした。


お医者さんが、静かに臨終を告げ、おじいさんは、永眠しました。




それまでにわたしは、曾祖母と、おじいさんの妻である祖母を亡くしていて、
悲しみはいつか和らぐと知っていました。


だから、悲しいのは今だけだ、きっと時がなんとかしてくれる、と信じていた。


なのに、もう15年以上経つけれど、おじいさんは、もういないのだ、
と思うたび、まだ新鮮に寂しいのです。




同じカテゴリー(思い出話)の記事
立春すぎて
立春すぎて(2013-02-10 18:42)

悩める幸せ
悩める幸せ(2010-07-26 08:23)

失せ物探し
失せ物探し(2009-12-15 12:51)

おじいさんの手
おじいさんの手(2009-08-14 13:44)

桔梗が咲きました
桔梗が咲きました(2009-08-10 11:18)

この記事へのコメント
あきさん☆
あきさんの美しい文章の中に深い深いあきさんの気持ちを感じました。
何かを乗り越えよう 乗り越えようと思う必要はない その何かに寄り添っていく生き方もある……私の好きな言葉の一つです。
Posted by タッコ at 2009年09月15日 12:23
タッコさん

ありがとうございます。
もう、この悲しみは、乗り越えようと思うのは、止めて久しいです。
でも、いつまで経っても新鮮に寂しくて、涙が出ます。

もう倍くらい年を取れば、もう少し落ち着いて思い出せるかもしれないですけど。

寂しいと思い出すことも、故人を偲ぶ方法としてはいいのかな、と
勝手に思っています。
Posted by ぶん屋あき at 2009年09月15日 17:31
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
まだ新鮮に寂しい
    コメント(2)