妹と行った弁天の花火

多分10年くらい前になります。
妹と二人で浴衣を着て弁天の花火に行きました。

行きはよいよい、帰りはツライ、の思い出です。

十歳年下の妹に、母が浴衣を縫いまして、
早速着付けて二人で花火大会に行こうと計画しました。

浴衣の帯は、半幅で文庫に締めるやりかたを、祖母からお人形で習いました。
小学3年生くらいだったと思います。

お人形の浴衣も、帯も祖母がこしらえてくれて、根気よく教えてくれたのでした。
まだ早いとか、幼いからわからないだろうとかいう観点は
なかったのでしょうね、文庫にうまく結べるようになりました。

中学、高校になって、いざ浴衣を着るとき、帯が結べることに気付きました。
わたしの中で、お人形の帯と、自分の帯とが結び付いていなかった。

ところが、浴衣がうまく着られない。
おはしょりがうまくできないのです。

しかたなく、ぐずぐずに着るか、美容院で着付けてもらうかしかありませんでした。


大学へ進み、自分の浴衣を購入。B反市で安かったですよ、帯は実家から送ってもらいました。

浴衣を着て祇園祭に行きたい。

それだけで、本を見て鏡の中の自分と大奮闘しました。

なんとか格好がついて、無事祇園祭には浴衣で行けました。

その甲斐あって、浴衣だけはいつでも着ることができた。

妹と弁天の花火に行くときも、自分と妹を着付けて出かけました。


JRに乗って弁天駅に到着。
まだ混んでるとは言えないものの、たくさんの人が集まってきています。

場所を確保、妹を座らせて、お姉ちゃんは食べ物や飲み物の調達に向かいました。
お祭りの楽しみのひとつに、屋台をひやかして買い食いすることがあります。
いい年になった今でも、露店が並んでいるとわくわくします。

だんだんにぎやかさを増してきた会場で、たくさんの知り合いにも会い、
でもそれぞれに連れがいて見つけた嬉しさにちょっと立ち話、
すぐにバイバイして皆の待つ元へ別れます。

いよいよ始まった花火、妹は大きな花火大会は初めてだったと記憶しています、
ふたりで多分口を開けて空を仰いでいたことでしょう。

パフッ

ヒュールルルルルル

パッ

パチパチパチパチ

火薬の弾けて燃える音の後、体にひびく、ズドーンという花火の音。



浜名湖に上がる大輪の夜の花を飽きずに眺め、
終わって立ち上がればお尻がしびれておりました。


会場から弁天の駅までは、徒歩10分もかからない距離。
しかしこの日ばかりはそうは行きません。

この人波は進んでいるのか、というほどの牛の歩み。
駅のホームに上がるまでに30分以上かかりました。

電車は臨時便も出ているのですが、いつになったら乗れるやら、
まだ中高校生だった妹はだんだんつらそうになってきました。

やっと乗れた電車はギュウ詰め、都会の満員電車はこうだろうな、と思いながらの十数分です。

浜松駅で降りても、妹とお互いを見失わないようにするのが精一杯でした。


北口を出れば、ほっとして、さぁ帰りましょうと妹を振り返ります。

妹は、半ベソ。


お姉ちゃん、帯が…

見れば、かわいく結んだはずの文庫は、満員電車で揉まれてくるりと回り、なんとひじ掛け状態に。

帯をよいしょっと回し戻して、妹には疲れた笑顔が戻り、無事帰路につきました。


さて、今年の花火もそろそろ始まりますね。

どちらさまもお帰りには気をつけて、行ってらっしゃいませ。



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