江戸しぐさの根底には、論語があります。
少し前に手に入れ、放り出してあった(難しいので飽きた、とも言う)
「ビギナーズクラシックス 中国の古典 論語」を開いてみています。
論語を尋ねるのも、江戸しぐさを学ぶのも、温故知新であるな、と思いました。
子曰く、故きを温めて新しきを知る。以て師為る可し。
(老先生の教え。
古人の書物に習熟して、そこから現代に応用できるものを知る。
そういう人こそ人々の師となる資格がある。)
江戸時代、論語は寺子屋などで素読を徹底的にさせたそうです。
7、8歳の子どもたちが、内容も意味もわからないなりに、
繰り返し素読させられて暗記していました。
それは、やがて彼らが成長するなかで、これまで何の意味も持たなかった
論語の言葉が、人と人とのかかわり合いの中や、仕事、親子関係、
または挫折したときに、よみがえって、心の支えになったり、自分を高める力に
なったりしたそうです。
先日聞きに行った、
柳家小三治も似たようなことを言ってました。
子どもに教える、というのは、その時にわかることだけではなく、
彼らが一人前になってからも、なお刈り取ることのできる種を蒔くことなのだ、と
考えさせられます。