義父の五回忌

義父の五回忌

5年前の3月19日、義父は急に逝ってしまいました。
特別なにかをするわけではありませんが、お墓を丁寧に掃除して、
お花を供えてまいりました。

お彼岸に入っているこの日、去年も休みを取って、お墓参りをしました。
たしか、同じように春分の日が近くて、思わぬ連休を義父にもらった
ような気がしたのを思い出します。
今年も、奇しくも4連休を頂くことに。

木曜は、ぶん屋の営業日ですから、どこかに出かけるつもりはありません。
朝食後の丁寧なお墓まいりをした後、アップオンスタジオに向かうまでの
時間を浜松城公園の散策に費やしました。

浜松城公園は、身近にあって四季折々の景色を、箱庭のように
見せてくれます。歩いていける距離に公園があるのはありがたい。
桜の蕾がもう枝から伸びていて、次に暖かくなったら咲きますよ、と
アピールしていました。
まだ咲いていないのに、遠目に薄ぼんやりと景色を桜色に染めて、
春霞の空に、グラデーションを添えていました。

2月、日本庭園で、美しかった梅の木は、すでに役割を終え、
葉を出すまでの静かな休息期間中。
その中にあって、びっしりと小梅をつけた木。

主人の写真で見ていたのですが、ここまで細かいたくさんの実をつけて
いたとは、驚きです。
日本庭園内、美術館方向に、東屋があります、その池の畔に
この木はあります。

主人は、年明けからこの梅を見ていて、一本の木に四季を見たように
思う、と。
結実は秋を心に呼ぶため、そう感じたのでしょう。
梅の実は、梅雨の頃にちょうど収穫を迎え、後は夏の光を葉にたっぷり
浴びて、次の冬のために栄養を樹木へ溜める。
秋には、さほど注目されることもなく、葉を落とし、また来年の
一番の春を伝えるために、ひっそりと冬越しの準備をします。

木が繰り返す一年は、人の一生にも似て、また、人の一生は、
木の一生に比べれば、ほんのわずかな時間です。
樹齢何百年、という木に出会うと、おもわず、幹に手を当てて、
安心を頂きます。
自分の存在がちっぽけである、と知ることは、ほっとすること
でもあります。

義父は、わたしにいつもやさしい笑顔をくれました。
亡くなる少し前の法事では、久しぶりのお酒にご機嫌で酔い、
早々と床に就いて、頬を桜色に染めて眠っていました。
わたしが見た義父の最後の笑顔でした。

義父は、身寄りのない日本で、自分の家族を守るために
一生懸命生きた人だと聞いています。
義父とは、短い時間しか共にできませんでしたが、主人を通して
今もいろんなことを教えてもらっています。



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