万両が、来る冬に備えて実をつけ、赤くなる準備をしています。
自分の舞台がいつで、今は何をしているべきなのかを知っているようで、
その姿にいつも感動します。
植物を見ていると、一年中同じ場所から動かずに、そこが舞台にもなり、
舞台裏にもなり、楽屋にもなる。
見ている人間の方が勝手に照明を当てたり外したりしているのに気付きます。
桜の木が、春には公園のヒロインとなります。
秋にもまた、大きな葉を赤くして散らし、紅葉を知らせる前座の役目があります。
この植物も、自分の時期を知って、赤くなっています。
わたしは、この俳優の名前を知りません。
心に残った俳優は、いずれ私の方から名を調べることになります。
真冬になると、サザンカや椿が公園を舞台とし、咲き誇ります。
コガネモチや千両、万両もその実を赤くして、静かに舞台へ上るのです。
同じ場所にいながら、自分の時期を知っている植物には、
本当にいろんなことを教えられます。
毎朝起きて、食事をして仕事をして寝るだけでは、自分の「時」が
来たのに気付いても、何の準備ができていましょう。
自分の時期や舞台は、いつ訪れるのか、どこで訪れるのか判りません。
人は植物と違い、移動します。
ここにいても、自分の舞台がない、と思えば、移動するのです。
自分の時期や舞台は、必ずしも誰もが注目する、というものでは
ないかもしれません。
「誰かを支える」という舞台では、自分がいなくては、その誰かは
活きないのだから、自分にとっても舞台であると思います。
舞台も、時期も、自分ではその時を事前に知ることができないわたしたちは、
常に準備をしている必要があります。
その時がきたときに、自分がその舞台で十分に魅力を発揮できるように。
だれかの印象に残るように。
日本庭園では、つわぶきが今を盛りと咲き誇っています。
準備を怠らなかったから、目に留まるのでしょう。
花は、球のように咲くのだな、と今年初めて気付きました。
丸っこく咲いている様子が、薬玉文様(くすだまもんよう)のようです。
人にはみな、その人の時期と舞台がきっとあります。
その時がくるときに、準備ができていて、目覚めているように、
今は何をしておくべきかをいつも考えていたいものです。