ザイリョウとセーヒン

ザイリョウとセーヒン


わたしの父は、旋盤工で、自宅の裏にコーバ(工場)を持ち、
自営業をしていました。
だから、うちの庭にはザイリョウ(材料)とセーヒン(製品)が
いつも区分けされて置いてありました。

特に、セーヒンは「触ってもまたいでもいけない」ダイジ、と
教えられていました。

「おとーさんのオシゴトのダイジだよ。これがお金になって、
 ご飯が食べられるんだよ。」

朝ザイリョウだったものが、夕方セーヒンに変わります。
でも、どのザイリョウが、なんのセーヒンになったかは、
子供のわたしにはわかりませんでした。

セーヒンは、父たちの技術によって、ザイリョウに価値が
加えられ、工作機械の部品として出荷されていたのです。
時にオシャカをして、父たちが食事も喉を通らないほど
がっかりしていたのもよく覚えています。


父は、幼いわたしが起きる時間にはもう仕事をしていました。
「おとーさん、ごはんだよー。」
と朝ごはん、昼ごはん、夕ごはんのたびに呼びに行き、
ご飯はいつも一緒に食べました。
夕ごはんの後も、また仕事をしていました。
わたしはコーバに向かって「おやすみー」と叫んで、
二階の寝床に上がっていったのを覚えています。

父は、わたしが遊んでいるときにもセーヒンを作るために
がんばっているのだ。
幼な心にセーヒンのダイジさを刻んだものでした。
材料も製品も工場も、言葉の一般的な意味や、漢字でどう書くか
を知ったのは、小学校に上がってからのことでした。


今、自分がぶん屋の商品を作る立場になって、改めて
セーヒンのダイジさを思います。

何気なく店頭に並んでいる商品は、わたしたちぶん屋夫婦の
分身です。
ザイリョウの時点では、布だったり着物だったり帯だったり
するのですが、例えばがま口になって、金具がはまり、
「ぶん屋」のはんこが押されて店頭に並んだとき、それは
セーヒンとなります。

定番商品は、いくつかのオシャカの犠牲の上にあるものだし、
幾度にもわたる改善、修正のもとにたどりついた現時点での
最善の品質です。

もちろん、常に技術とセンスを磨き、「本物である」という
定義をしっかりもって、今後も改善は重ねていく所存です。

いつも、今のぶん屋の一番いいものをお店に置きたい。
そう思っていますから、商品全てに思い入れがあります。

お店の顔でもある暖簾も、ぶん屋印のはんこも同じです。

もの作りをしているお店、企業はみんな同じ気持ちだと
思います。
セーヒンはお店や企業の分身であり、店先にあるときから
ダイジにしてくれる人を待っている。

だれかがダイジにしてくれるのを待っているセーヒンは、
お店のわたしたちでさえ、もうぞんざいに扱うことは
できないのです。

お客の立場で、どこか店に行くのであれば、作り手の思いと、
それを今後買っていってダイジにする人のことを思いやり、
品選びをします。
自分がダイジにしたい品を選びに行くお店を決めるとき、
自然とお店の客層も気になります。
自分がダイジにしたい品は、自分の手元に来るまでに
どういう風な扱いを受けてきたかが、気になりませんか。

ぶん屋のセーヒンが箪笥の引き出しから出てくるのも、
そういう思いがあるからです。

セーヒンはそのまま作り手の心であり、お店の分身です。
ダイジにしてくれる人の心が加わって、逸品になるのだと
思います。

皆様のお手元には、どんな逸品をお持ちでしょうか。


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