わたしは、ちょこちょこと何かを作るのが好きで、後輩に作ったものを見せたり、
ほれ、とあげたりとしてきましたが、二人はそんなわたしに感化され、
苦手な「手芸」にも挑戦していた姿を見ています。
このブックカバーもなんと一人のお手製。
失礼ながら、たどたどしい針目ですが、苦手なことにわたしのために
費やしてくれた時間はいかばかりか、と考えると、本当に嬉しかったです。
(ちょっと畳の屑がついちゃいました。ごめんね。)
手作りのプレゼントがこんなにも嬉しいものだった、と改めて知ることが
できました。ありがとね。
手袋は、既製品ですが、カード一杯に細かい字でびっしりと書かれた手紙。
泣きながら書いてくれたそうで、嬉しくて何度も何度も読みかえしました。
多分、この先もこの手紙はわたしの励ましになります。ありがと。
もう40に手が届く歳になってきて、後輩を育てるのは、ただ仕事の技術を教える
だけではなく、人として、女性として、ということの相談に乗ることも多くありました。
後輩を見ていると、もっとこの人のこんな点を伸ばせば、魅力的になるのにと、
歯がゆくて、余計なお節介をたくさんしたような思い出です。わたしを含めて
三人ともみんな長女で、妹がいる。わたしは、彼女たちのお姉さんとして
丁度良かったのかもしれません。
そんなわたしは、数年前に一緒に仕事した先輩をお姉さんとして慕っていて、
先輩の異動後も仲良くしてもらっていて、嬉しかったので、順ぐりです。
人育ては、褒めることだとわたしは自分育てをして学びました。
みんな、自分の事を責めたり、卑下したりする習慣はあるくせに、自分の頑張りを
自分で褒めることは少ないと思います。
昨日の自分が出来なかったことを、今日の自分が出来れば、それは十分褒めるに
価するし、これまでの努力が花を咲かせたことに他ならないのに、
「まだまだ、こんな程度では」ともっともっとを自分に要求する。
わが社のスタッフは、もともと頑張り屋の集合なので、「がんばれ」といわなくても
常に頑張っている。頑張っている人は、「がんばれ」といわれることが多いけれど、
「頑張っているね」と認められることは少ないです。
もう十分毎日頑張っているのに、まだ足らないのか・・・と「がんばれ」を聞くたびに思う。
自分が今日どれだけ頑張ったかを一番知っているのは自分だから、
「がんばったね」と一日一回は自分に言ってあげる。
何をどれだけ頑張って、どんなよいことがあったのか、小さなことでいいから
それを思い出して、「よかったね」と言ってあげる。
それでも、未熟な自分だ、と思っているから、「まだまだ」とがんばっている
後輩を見て、ここがよくなったよ、これが出来るようになったね、と褒める。
少し照れくさがりますが、それでもやっぱり褒められれば、嬉しそうです。
褒めてくれない人に叱られても、聞けません。
できることを認めてくれない人に注意されても、素直に聞けないと
思います。わたしは、主人にそれを教わった。
このストラップはもう一人の後輩が、ちまちまと作ってくれたものです。
「ここが上手くいってないから直してくださいね」と渡してくれましたが、
このままで十分です。
できあがりが少しくらいいびつでも、これは彼女の精一杯の「できる」がつまっている。
早速化粧ポーチにつけて、毎日一緒に持ち歩くことにします。
後輩を育てたようで、自分が教わったことはたくさんあります。
人はみんな違う。だから、一緒にいると楽しいし、新鮮な発見がある。
個性はそれぞれ、世界にひとつの大切な命。
少しでも先に生きている者は、後進が最短距離で近くまで来れるような案内をし、
追いつかれないような努力をする。
それで、お互い磨き合うことが出来るのではないでしょうか。