果樹の思い出

ぶん屋あき

2008年09月09日 19:42

魔女さんのブログを拝見し、実家にあった果樹の寂しい思い出を呼び覚ましました。

幼いころ、実家には比較的大きな梅の木がありました。

梅は、曾祖母が、戦後、実家をかの地に建てたときに植えたそうです。
その後に行われた地主の土地の整理で、
我が家の借地からは外れてしまったのですが、
枝は、実家裏に伸びて、春の到来を告げるわたしの愛する果樹でした。
1990年ごろ、家を建て替えて、犬を飼うようになりました。
父との毎朝の犬の散歩が日課であった数年間、冬の寒い時期を越えると、
梅のつぼみが膨らみ、
父と裏庭で「梅が膨らんできた」と冬の終わりを喜んだ思い出があります。

梅雨がきて、見上げれば、大きな梅の実で枝は重たそうに垂れ、
「今日採るか」という父の合図があると、枝をゆすっては落ちた実を拾いました。
取れた実は、幼いころは祖母が、祖母亡き後は母が「梅シロップ」にしてくれました。

夏のお風呂上りには、氷を入れて冷たくした梅シロップをよくいただきました。
お腹にいいんだ、と父はいつも言っていました。

「梅シロップ」は、氷砂糖と梅を交互に瓶に詰めて漬けたものです。
梅から果汁が出てくると氷砂糖が溶けて、できあがります。
父も大好きで、「梅シロップ飲むか?」と相当大きくなってからも
よく作って勧めてくれました。

実家を出てしまった後、母から
「あの梅の木は、裏の駐車場整備でこいでしまうそうだよ」
と連絡が。
もう、かなりの大きさに育った梅を、こいでしまう。。。

残してもらう方法は無いの?と、やりきれない思いで母には駄々をこねましたが、
母にも、わたしにもどうすることもできなかったのです。

果樹は、花が咲いて実がなって、一緒に暮らすわたしたちに
季節の恵みを与えてくれる、とてもかかわりの深い生き物です。

人間の勝手で、その命の活動をとめてしまうことが、申し訳なく、切なく、
苦しかったです。

今でも、実家に行くと裏に梅が居たなぁ、と懐かしく思い出します。

街角で、木と共存している人間の生産物を見かけると、ほっとします。
ぐいっと伸びた松の邪魔をしないように塀が作られていたり、
アスファルトの駐車場の中途半端な場所に生えている桜が残されていたり、
神社の森が、田んぼの真ん中に出現していたり。

それを見て、この木たちはよかったなぁ、と思うのです。

ごめんなさい。裏の梅の木。


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