世の中は澄むと濁るの違いにて

刷毛に毛があり、禿に毛が無し。

ラジオで、耳に挟んで、一瞬「ん?」と思ったが、
意味が分かった瞬間、うまい!と一人声を出して笑う。

確かに、清濁の違いで、全く反対の状態になる。

出典は、昔から言われているこれだそう。

「世の中は澄むと濁るで大違い」
刷毛に毛があり、禿に毛が無し。
福に徳あり、ふぐに毒あり。
人は茶を飲む、蛇(じゃ)は人を飲む。
意志が濁ると意地になり、口が濁ると愚痴になり、徳が濁ると毒になる。


他にもあるかな、と考えずに検索。

為になる人、駄目になる人。
菓子は時折、家事はきり無し。
怒る市民に、驕る市役所。

おもしろい!

主人が、先日ラジオで「日本語は滅びるのか」
という中日新聞の社説について話をした
が、ブログを始めて、
言葉のあり方、使い方についてもよく考える。

外来語を羅列するのは、好きではない。
日本語にぴったりする語句がなく、
その言葉がすでに日本語として馴染んでいるものならともかく、
日本語にもちゃんと単語があるのにインターナショナルぶったワードの数々を、
自分のセンテンスにインクルードするのは、ナレッジのプレゼンがトゥーマッチで、
イナフと思う。(ルー語か?笑)

和語と漢語がある。
なるべく、和語を使いたい。
心情ではなく、こころもち、というように。

そして、漢字があるのであれば、使いたい、と思う。
ひらがなやカタカナは、読む人に平易なようだが、意味を伝えることを
考えると、結局は遠回りになることもある。


冒頭の「はけにけがあり、はげにけがなし」も、音だけ聞いて、一瞬思考が止まった。
頭で、漢字に変換して、納得。


音を表す文字は、その一文字一文字には意味は無い。
アルファベットに至っては、一文字では音にすらしにくい。

それに引き換え、漢字は、音に意味を与える。
「刷毛に毛があり、禿に毛が無し」

清濁のたった一文字の違いで、ここまで正反対のものが存在する日本語の楽しさよ。

キーボードに侵略されても、機械任せの漢字変換で気軽に漢字を学び、
ちょっと気の利いた文字列で、見知らぬ誰かをくすっと笑わせられたら。

人の心は、言葉で慰められる。
だから、正しい言葉で、一生懸命伝えよう。



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風情のない
風情のない(2008-09-23 15:45)

この記事へのコメント
あきさん

日本語のことばの楽しい遊びは愉しいですね。
メモしてお笑い好きな息子に教えてあげましょう(笑)

自身の日本語すらも危ういと感じるこの頃ですが、平成生まれの子ども達の日本語は確実に変化しているのを実感しています。
これは退化でなく進化であると信じたいと思いますが、仕事で関係しているギョーカイはカタカナニホンゴが主流でして、頭の中で言語変換しながら会話しています。

落語のCDを運転しながら聴いていて、耳からの日本語のみで笑わせる文化は素晴らしいですね。

昭和の人として日本の文化を大切に繋いでまいりましょう。
Posted by ATSUKO at 2009年04月01日 09:05
あきさん、こんにちわ。

読んでいてなるほど!と頷いてしまいました。
確かに耳で聞く言葉と目で見る言葉では
同じ一つの言葉でも受ける印象は違いますね。

先日テレビで、映画は字幕派か吹き替え派か・・・
というアンケートをやっていて
映画字幕翻訳家の戸田奈津子さんが
場面によっては、英文をそのまま訳すと
日本人には響かないものもある。と言っていました。
その為に戸田さんは独自の翻訳をすることもあるそうです。
そういった事もあきさんの考えるような言葉の持つ意味
漢字の表す意味や音の楽しさ・・・
それらと通じるものがあるのかなと思いました。

日本の女性が持つ美しさやしなやかさは
古来からの日本語、それらを正しく発すること・・・
そういった事に独特の奥ゆかしさが相重なって生まれるものだと思います。

女性の立ち姿を花に例えるのも日本ならではだと思いますし、
(立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花・・・)
こういった言葉を例にとってみても
言葉の表現力って素晴らしいと思います。

私も美しい日本の女性になりたいです。

背が高くてどちらかと言うとヒョロっとしてるので
歩く姿はマッチ棒・・・とよく言われました(涙)
(マッチ棒は花じゃないし・・・)

今日も長々、すいません。
Posted by 茶坊 at 2009年04月01日 10:07
ATSUKOさん

息子さんには気に入ってもらえたでしょうか。
言語は、生き物で、変化をしていくのは避けられませんが、
美しい和語が廃れていくのは、やはり寂しいものです。
方言も同じように思います。
昭和の人として、遠州弁も大切にしていきたいです。


茶坊さん

いつも、お手紙を頂いたような気持ちで、コメントを読んでいます。
そして、いつも、わたしのツボを突いてくださるコメントをありがとうございます。

いろいろとお返事を書いては消し、書いては消し、をしましたが、
「言語」「言葉」については、語学を学習したものとして、
お伝えしたいことは山ほどあります。
また改めて記事にします。

背が高いのですね、うらやましい。
わたしは、主人に土瓶に似てるといわれます。
横から見ると、口が少し出ているので、土瓶の注ぎ口があるようだ、と。
遠州弁で言うと「はすんとんがってる」のです。(笑)
マッチ棒と土瓶は仲良くなれそうな気がしますが、いかがでしょう。

言葉は、人の品格を表わしますから、常日頃から正しく美しい言葉を
使おうとしていることは、大事だなぁと思います。
でも、「すげー」とか、「おめぇ」とか、女性が使うべきでない言葉を
連発している自分もいます。
もう若くないので、だんだん、気をつけようと、茶坊さんのお便りを読んで
改めて思いました。
Posted by ぶん屋ぶん屋 at 2009年04月02日 00:18
↑主人の名前のままコメントしています。

ぶん屋あき
Posted by ぶん屋ぶん屋 at 2009年04月02日 00:20
あきさん、お返事ありがとうございます。

毎回そうなのですが、
あきさんからのお返事を読んでいると
胸の奥がじんわりと温かくなってきます。
パソコンを通しての関係ですが、
遠いようでとても近いような・・・
何かとても不思議なものを感じます。

私も同じ様に、いつも書いては消し、書いては消し、
あきさんの心の少しでも近い所に触れたくて
一生懸命、言葉を選んでいます。
(きっとラブレターを書く時はこんな感じ?!)

土瓶とマッチ棒。
囲炉裏や火鉢、ストーブにコタツ・・・
何だか暖をとるものばかり連想してしまいました。
寒さに弱く、冷え性なあきさんと私にピッタリですね(笑)
これは相性もピッタリという事でしょうか。

ポカポカな気持ちで見る桜は
また格別な気がします。
今日のお昼休みは、近くの公園で
桜を見ながらお弁当にしようかなw
(風があるのでマッチ棒は飛んでいくかも)
Posted by 茶坊 at 2009年04月02日 11:42
茶坊さん

ラブレター!笑
でもそんな感じです。ほんとに。

公開電子文通って気がしています。

言葉って、面と向かっていれば、誤解は少なくて済むのに、
文字となってしまうと、読む人によって捉え方が変わってしまうことが
怖くて、ブログの記事も、慎重に書いているつもりです。

それでも、わたしの言いたい芯を突いてきてくれる茶坊さんのコメントは、
いつも嬉しいびっくりを頂いています。

また、気軽にコメントをください。(^0^)
Posted by ぶん屋あき at 2009年04月02日 19:13
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