遠州七不思議「小夜の中山夜泣き石」

遠州七不思議「小夜の中山夜泣き石」
遠州七不思議をいくつご存知でしょうか。
「小夜の中山夜泣き石」
「片葉の葦」
この二つは「のびゆく浜松」かなんかに載っていて
覚えていました。
「桜ヶ池の大蛇」
これは、主人が七不思議のひとつだと知っていましたよ。
・・・・あとは、あとは・・えーと知りません。
3つじゃん。

先日、主人と本屋で「遠州七不思議」という絵本を見つけました。
玲風書房 出版 文 石野茂子 画 田中清 「遠州七不思議」

Wikipediaでも調べることができます。
Wikipediaによると、七不思議には諸説あり、あわせると7つ以上
存在するようです。

臨月のお母さんが襲われて、切られた傷口から生まれた赤ちゃんは
久延寺のおっさまに拾われて「音八」と名付けられ、
峠の茶屋の水飴で育てられました。

その水あめは「子育て飴」といって、中山の名物になっています。
琥珀色で喉が焼けるような甘さがなく、優しく懐かしい味です。


刀の研ぎ師となった音八は、ある日老人が持ち込んだ見事な刀に
刃こぼれがあるのに気付き、何気なく尋ねます。
老人は、
「若い頃、遠州の小夜の中山で臨月の女を切った。
 そのときに、石に当たってこぼれたのだ。」
と語ります。
仇と知った音八は、名乗りを上げて仇討ちをしました。

絵本では、その刀は「名東赤玉丸」であり、音八の両親が家宝として
大切にしていたものであったと記しています。
京都の公卿であった主が、用事で京都へ行ったきり戻らず、
金に困って家宝の名刀をお金に変えるために、中山峠を
日暮に歩いていたところ、山賊に襲われ、切られ、身包みはがれたときに
名刀も奪われました。

近くにあった石に、音八の母は「どうかこの子をお助けください」と祈り
息を引き取ったそうです。
その石が泣いておっさまに知らせたので、夜泣き石といわれています。

遠州七不思議「小夜の中山夜泣き石」
音八は、仇討ちを母の墓前に知らせ、赤玉丸を久延寺に奉納したそうです。
名刀赤玉丸は、今も寺の宝物として伝えられています、と
絵本は結んでいます。

小夜の中山峠は、旧東海道(国道一号線)の金谷宿と日坂宿の間にあります。
今は、島田市菊川あたりです。
国道一号線を走っていますと、小夜の中山の表示板が出ています。


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