(よかったら、前編の「映画は字幕派か、吹き替え派か[1](言葉は文化の一部)」を先にお読みください。)
でも、字幕で見る映画と、吹き替えで見る映画は、受ける印象が違うことが
あります。
これは、どうしてでしょうか。
そのわけは、「音」に秘密があります。
字幕映画と、吹き替え映画で決定的に違うのは、聞こえてくる俳優の声。
言葉は、声という「音」に乗ってわたしたちに届きます。
同じ言葉でも、乗る音の持つ雰囲気によって伝わるメッセージは変わります。
これが、「耳で聞く言葉と、目で読む言葉が違う」ということにつながります。
女「今度、食事に行きましょうか。」
男「・・・。いいね。」
映画で、このせりふがあったとしましょう。
これだけだと、男と女の気持ちは幾通りも想像ができます。
想像の中で、俳優にこのせりふを言わせてみて下さい。
二人の関係や、二人の心を表わすには、表情や声のトーンが重要だと気付かれる
と思います。
さらに、女が男を食事に誘うこと、男が即答しないこと、せりふの言葉づかいなどは、
文化を背景に、物語の理解に変化を加えます。
仮に、日本の習慣において、「女が男を食事に誘う」ということが稀有なことだとして、
こんな字幕が出てきたら、この場面の不自然さが、観客はその後も気になってしまい、
ストーリーに集中できなくなってしまうかもしれません。