古人見の祭における女達

古人見の祭における女達
(撥を持つ拳ごと打ちつける太鼓。拳固から出た血が太鼓の皮を染める。)

「わたしら女じゃないですか。どんなに祭に気持ちが熱くても、打ち挙げの順番は
 まわってこない。それでいいんだけど、女だっていうだけで悔しい。」

古人見が大好きで、女だてらに有志会に名を連ねるカナが言う。
古人見町若御子神社、秋祭りのクライマックスは、打ち挙げ奉納太鼓。
任命された男二人が宵祭りと本祭に、その社の鳥居の下で、厳かに、
そして力強く叩く太鼓が「打ち挙げ」と呼ばれる。

神事の祭である古人見町若御子神社の秋祭りは、女子は役を受けることは
できない。
しかし、祭に熱く心を燃やす女子たちは、練習から参加して、男子となんら
変わりなく祭を作っているのに、どこか所在なさげに見える。
小さい子からお年寄りまでみんなの顔をお互い知っている。知らない顔のいない
村祭だから、一生懸命な女子に太鼓は叩かせてやりたいが、道程のどんどこ屋
を打たせるのが精一杯の思いやり。

「打ち挙げのときは、わたしら笛さえ吹いていいのやら…。
 打ち挙げは練習もしないから、曲もよくわからないし。」

去年そう言っていたカナが、今年の打ち挙げ奉納太鼓の時に姿がない。
どうしたのだろうとあちこちに目を走らせた。
屋台の後尾に吊るされている太鼓の前には、闇に照らし出された打ち挙げ司。
明かりを落とされた屋台の中に、カナたちのえんじ色のはっぴが見える。




小太鼓を叩いている!


古人見の祭における女達
(太鼓の縁を叩く時、小太鼓が合いの手として入る。)

小太鼓は、奉納太鼓の合いの手として地味ながら重要な役割りをする。
所在なく笛の後列にいるカナたち女子を見るよりも、闇に引いた彼女らは、
むしろ潔く、いい場所を得たと感心した。

世話役に勧められて初めて叩いた小太鼓だったから、間合いがすっきり行かず
満足いくものではなかったようだ。

自分の場所がある、ということがどれだけ大きく重く誇らしいものであるか。
小太鼓は打ち挙げを支え、時に引っ張り、常に励ます。それはまるで女房役の
ようだ。小太鼓あってこその打ち挙げと、言わしめることも不可能ではない。


古人見の祭における女達

一方、打ち挙げ奉納太鼓の役を受けた男の女房は、夫の背中を静かに熱く
みつめる。
夫がこの地に足をつけた証拠とも言える打ち挙げ太鼓の役目。普段見慣れない
父親の姿に少し落ち着かない様子の息子をいなす。まだ小さい娘は、両親の
気迫を感じたのか、まばたきも忘れたようにじっと父親の姿を見つめて立っている。


古人見の祭における女達

この娘もいずれは浦安の舞を舞う年廻りになる。


古人見の祭における女達
(浦安の舞は、五穀豊穣を祝って奉納される。)

「女の子は浦安が終わるとお祭りは終わり。でも、なんかどうして終わりなのか
 わからなくて。」

カナは、浦安の年廻りには太鼓も笛も鳴らせた。だから当たり前のように祭の
練習には毎年参加した。そして、大人になったら打ち挙げの順番はわたしにも
回ってくる、と信じていた。浦安と同じように。

何年も、何年も、どうしてわたしは女なのだろう、とすっきりしないまま参加して
きた祭。自分でどうしようもないから思いばかりが先行して、振る舞い酒に酔い、
号泣した年もある。

小太鼓を叩くために屋台に上るとき、酔っていちゃいけない、こんな大事な役
なのだから、と思った。

今年の祭は終わってしまったけど、祭はまた来年、必ずやって来る。
古人見を愛する、祭を大事にする女子が活きる場所への道を、自分たちが
作らなくてはいけない。

浦安の舞の順番が男には決して回ってこないように、打ち挙げの順番は、
女には回ってこない。
男のフィールドで仁王立ちになってがんばっても、所詮男と女は役目が違う。
女は男とは違う。だからこそできること、できるかたちがある。


来年の打ち挙げ奉納太鼓を支える小太鼓を、カナたちはどんな風に仕上げて
くるだろうか。
古人見町は、また新しい大きな一歩を、今度は女子が踏み出そうとしている。


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