営業車を走らせていると、木蓮の白が目に飛び込んでくる。
天林寺の木蓮もそろそろかな、と思いを馳せる。
固いつぼみは、厳しい冬を越せるよう、一番早く大きな白い花を咲かせるよう、
暖かそうな毛皮を与えられた。
毛皮のまま、芽が膨らんで、これ以上大きくなれない、と毛皮が割れると、
中から柔らかい、いくらか黄みがかかった白い大きな花びらが顔を覗かせる。
「春が来ています。」
天へ枝を伸ばし、なるべく目につく高いところまで、大きな白い花をつけ、
皆に冬の終わりを告げる。
木蓮が開くと、つぎは私たちの番と、桜のつぼみが固い茶色い皮のなかで、
あの遠くからけぶって見える桜色を作り始める。
桜色は、開花直前の桜の樹皮で染めると、ずっと昔に知ってから、
桜の白いような、うすい桃色のような、あの色は、桜の木が渾身の力を込めて
絞り出している色なのだと、つぼみが膨らんでくると、ますます畏怖の念を覚える。
美しい桜の下には死体が埋まっている、と読んだ学生時代、
左右に堂々と枝を伸ばし、たっぷりと花芽をつけた桜には、
近寄ることができなかった。
お花見は、本来、立ってするものだったと聞く。
桜を下から仰ぎ見るのが、昔からのお花見だそうだ。
今のように、桜の下でどんちゃんさわぎをするようになったのはいつの頃からか。
お花見のときに敷く「ブルーシート」がよくないそうだ。
桜が呼吸ができないという。
せめてゴザやムシロにして欲しい、と桜を管理する人が言っていた。
人間は、すべての生き物の頂点にいるのではない。
生かされているのだ、と思えば、相手によくなさそうなことは自ずとわかる。
固い蕾のままの桜並木は、うっすらと桃色に染まって見える。
桜が咲く前から楽しめば、こんなに長い花見はない。
桜の木の下には、、、、梶井基次郎ですね。
年代は違いますが私も教科書で読んだと思います。
「檸檬」の難しい字も書いてみたりしました、桜が咲くとおもいだします。
けいこさん
コメントありがとうございます。
檸檬の一節でしたか!
檸檬は、最後のシーンだけが記憶に鮮やかで、他の場面が
あまり思い出せない。。読み返してみます。
いい機会です。教えてくださってありがとうございます。
京都にいたとき、近所の川沿いの桜並木を歩きながら、
なんとなく、思い出してから、ずっと桜が咲くと気になっています。
そんなはずはないけど、そうかもしれない、と思います。
自信はありませんが、梶井基次郎は確か、伊豆で結核の療養をしていて、川端康成などと交流があって静岡とゆかりがある人だなと思って読んだ思いがあります。「檸檬」のなかの文章と思いますが間違っていたらごめんなさいね。
けいこさん
お返事ありがとうございます。
早速、手元にある「檸檬」を読んだら、その中に収録されている
「桜の樹の下には」という短編が、まさにそれでした。
記憶を新たにしたため、今年の桜も、新鮮に気になります・・・。(困)
梶井基次郎の心は、ずいぶん切なくて、寂しくいたんだな、と感じます。
学生時代には単に理解するのが苦しかった本でしたが、
今は少し共感できる自分がいます。
本は同じなのに、自分が変わると読後感も変わりますね。
梶井基次郎が静岡にゆかりがあるのは知りませんでした。
こうして別の方向に知識のある方にコメントを頂くと、勉強の幅が広がります。
調べてみます。ありがとうございました。
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