誂えるということ

誂えるということ

欲しいものを誂えで頼む、というのは、なにも特別なことではありません。

こんなに、大量消費の時代が来る前は、すべての物は、具体的な要求(ニーズ)
に対して生み出されたものであったはずです。

同じものが大量にあるこの時代は、自分のためのものを作ることが、なにか
特別になってしまったのは寂しいものです。

世に、一人として同じ人がいない以上、ニーズもまったく同じということは
ありえません。

百名お客様があれば、百通りの商品が出来上がって然りです。

ぶん屋では、絆纏は、すべて名前を染めてもらいます。
絆纏というのは、その性質上、脱いで置いてあれば、どれが誰のものやら
わからなくなる、揃いのものです。
間違いを防ぐ意味でも、襟の内側に希望の名前を染め抜いてもらっています。

それから、SMLのような、画一的なサイズの展開ではなく、
腰周り、裄(首の後ろの骨から手首の骨までの巾)、着丈をお一人ずつ
必ず採寸して、身幅を割り出し、縫製しています。
腰柄がある場合、染めもここのサイズに合わせて調整しています。

それは、お客様それぞれの「体型」というニーズが異なるからです。
靴下のように、22cm~25cmと、小さい足の人は少し余るし、
大きな足の人は少しきついかもしれないけど、履けます、というのと違います。

あなたに欲しいものがあって、なんとなくこんな感じ・・・
と思い描いて買い物に出かけたとしましょう。
わたしが欲しいのは、これに近いな、というものには出会うことはあっても、
「もう少しここがぴったりしていたら!」
「もう少しゆとりがあったら・・・」
「もう少し布が好みだったら!」
と、妥協点がきっとあると思います。

でも、代価を払う物はそれでいいですか。

せっかく手に入れる自分の物。
持ち物は、その人の個性を静かに語ります。

身に着けて、自分と同化する物は、めがね、口紅の色、指輪、服なども
同じですが、身の回りのものが、自分の個性とずれていると、
せっかく購入しても、なんとなくよそよそしくて、使わなくなってしまうように
思います。


誂えたものの、親しみやすさ。
自分自身のために生まれたものの愛おしさ。

誂える、ということは、そういうことではないか、とぶん屋は考えています。



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