【外来語の無い風景】冬の墓参り

ぶん屋あき

2009年02月01日 14:44



冬の朝。
物置小屋から手桶に柄杓、雑巾、線香、新聞の入った「墓参り一式」を出し、
自分たちは防寒対策をして菩提寺に向かう。
お寺の庭は、晴れて冴え渡り冬景色がくっきりと縁を見せる。
梅はつぼみをつけ、じっと春を待っている。

水を汲み、お墓へ向かう。お墓は皆静かに眠っている。
お墓を洗う夫と、花入れと線香立てを洗うわたし。
水は冷たく、手が痛む。

お墓は布巾できれいに拭き上げられ、さっぱりとしたお顔になった。

線香を焚き、帽子を脱ぎ、わたしはしゃがんで手を合わす。
(お参りにきました)
ただそれだけを心でつぶやいて顔を上げると、夫の口がまだ微かに動いている。
また手を合わせ頭を垂れる。

夫の動く気配に目を開けたら、手桶をもって流しへ。
掃除に使った道具をすすぎ、かじかんだ手から冷たい水を手拭いで絞り取る。
指の間まできれいに水気を拭き取れば、手は中から暖かい血が巡り、
わたしは生きていることを知る。

一足先に行く夫について、お堂で再びお参りをする。
仏教では、墓石は体を、位牌は魂を表わしていると聞いた。

すっきりとした気持ちで、菩提寺の庭の季節の花木を愛でる。

うぶ毛を着た木蓮の芽や、固い桜のつぼみ、枯れたあじさいの枝の
先につく小さな芽、万年青や万両、千両、くろがねもちの赤い実を見つけては、
寄ってそっと触れてみる。

ここにも静かな命がある。

わたしは手だけが、じんじんと暖かい。

あぁ、水ぬるむまであとわずか。
冬来たりなば、春遠からじ。
菩提寺の木蓮が、そこまで来た春を忘れずに告げてくれるのを
わたしたちは知っている。

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